今日の天気は雨。
ということで雨という何気ない身近な自然現象を、絵の中でどのように取り上げられてきたのかを見ていみたい。
一口に雨と言っても、古今東西、さまざまな雨が描かれてきた。例えば都会に降る雨で真っ先に思いつくのは、冒頭のギュスターヴ・カイユボットの『パリの通り、雨』。
雨の中、急ぐ人々の足元の石畳には水溜まりが広がっていく。油絵で描いたとは思えないほどみずみずしい。
この雨で連想するのが、明治から昭和に掛けて活躍した洋画家、版画家の吉田博による『東京拾二題 神楽坂通 雨後の夜』。こちらは雨が降った後の神楽坂の通りを版画にしている。夜の暗がりの中、店の明かりが通りの水溜りに反射し光っている所に目が行く。
この絵の主役はしっとりした、みずみずしい水溜りといっても過言ではないのかもしれない。
一方で雨の湿気さえ感じることが出来るのは、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの『雨、蒸気、速度―グレート・ウェスタン鉄道』。
イギリス産業革命の象徴である蒸気機関車が勢いよく走って来ることは判別できるものの、荒々しく斜めに降る雨や列車の蒸気に遮られ、あたりの風景ははっきりとしない。19世紀前半の当時のヨーロッパで、何の変哲もない雨という自然現象を絵の題名に含めて主役級で描いたことはとても新しいことだった。
そして私たちにもっとも身近な雨の絵といえば、歌川広重の『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』。
激しく雨が降る様子を縦の線だけで表わしている。この版画はフィンセント・ファン・ゴッホが模写したことでも知られる。
ゴッホはこの絵の他にも、縦の線だけで雨を描くことを何枚かの絵で試みている。
見方によっては、雹(ひょう)が降っているようにも見えるような見えないような...
最後はこれまで見たカイユボットや吉田博、ターナーや広重、ゴッホとはまた違った方法で、雨の降る様子を描いた日本画家、福田平八郎の『雨』を。
一見すると瓦の絵を描いたようにも見える『雨』。しかし画家が描こうとしたのは、降り始めの雨が次々と渇いた瓦に染みていく様子。瓦の上に丸い雨粒の模様が点々と出来ている。シンプルな描写によって、かえって瓦に落ちる雨の様子や、雨音までも想像させてしまう。
工夫して描かれてきた古今東西の雨。お気に入りの雨の絵の1枚を見つけてみてはどうだろう。
✎著/ 種をまく https://www.tane-wo-maku.com
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【水面に起こった一瞬の「さざ波」を描く。/福田平八郎『漣』】
さざ波が起こった一瞬の美しさを捉えた日本画家、福田平八郎による重要文化財『漣(さざなみ)』。『漣』が描かれた背景には、水を描くことに対する画家の飽くなき探求心が。名画の魅力に迫る。
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