壁紙もない汚れた壁が見える暗い部屋の中で、青白い顔をした母親が重篤な様子でベッドに横たわっている。傍らで医者が彼女の脈を取り、修道女に抱えられた子どもがその様子を不安そうに見つめている。この絵は、貧しさの中で、死の淵にいる母親とその子どもが置かれた悲惨な状況を切実に伝える。
『科学と慈愛』と題されたこの絵は、スペイン出身の巨匠パブロ・ピカソが、1897年、わずか15歳の時に描いた。この絵はピカソの早熟した技術力を披露しているだけではなく、彼の絵画が私的な生活と切っても切り離せないものであったことを伺わせる最も初期の作品でもある。
ピカソというと、ナチスによるスペインの町ゲルニカへの爆撃を題材にした『ゲルニカ』や、売春婦たちを描いたキュビズム的な作品『アビニヨンの娘たち』など、絵画史におけるエポックメーキング的な作品を数多く残したが、その作品というと、所謂、古典的な意味で“上手”な絵とは言えないものが多い。
しかしこのピカソの『科学と慈愛』は、伝統的な西洋の絵画技法に従って安定した構図を取り、光と影を巧みに使いながら、遠近法を用いて、この絵の主役であるベッドに横たわる母親に焦点が集まるように描いた。
さらにその高い技術力を誇示するかのように、剥がれて壊れかけた壁や、毛布の折り目、医者や子どもの手先の細部の描写に至るまで丁寧に描き分けている。弱冠15歳でピカソがこの作品を描いたというから驚かされる。
ピカソはこの『科学と慈愛』を自身が受けた美術教育の集大成として制作し、19世紀に盛んに描かれた”ソーシャルリアリズム”と呼ばれる絵画スタイルに則って、医療の進歩と、社会の下層の人々の生活をリアリスティックに描いた。
一方で、『科学と慈愛』は若いピカソの技術力の高さと美術に対する教養の誇示というもの以上に、鑑賞する者にとって心を打つ作品になっている。その理由は、ピカソ自身が若くして身近な家族の死を経験したことが関係しているのかもしれない。
ピカソは『科学と慈愛』を制作する2年前に、大好きだった妹を流行していたジフテリアによる感染症で亡くすという辛い経験をした。「家族の死」は単なる絵画のテーマである以上に、ごく身近に起こったことであり、青年ピカソにとって心に大きな傷を残すトラウマ的な経験だった。
ピカソはこの『科学と慈愛』でいくつか重要な賞を取ると、美術学校から離れ、画家として本格的な活動を始める。「青の時代」が始まり、青いトーンで売春婦や物乞いなどの人物をデフォルメ(誇張)して描いたが、暗い印象を与えるその絵にも、ピカソが当時患った深刻なうつ病が影響していたと言われる。
その後もピカソは、キュビズムやシュルレアリスムなど、次々と時代の最先端を行く絵画のトレンドを体現しながら、同時に妻や恋人、子どもとの関係、戦争など、その時々の私生活に起こった出来事と切っても切り離せない「ピカソの絵」を作り続けた。
この古典的な手法で描かれた青年ピカソの『科学と慈愛』は、後の私的な生活がその創造に大きな影響を与える「ピカソの絵」の誕生を予感させる重要な一枚と言える。
パブロ・ピカソ
Pablo Ruiz Picasso(1881-1973)
1881年、スペイン・マラガ生まれ。20世紀に最も活躍した画家の一人。生涯にわたり数多くの作品を残し、その作風も時代とともに次々と変化させていった。若き日の「青の時代」から始まり、「キュビズム」を経て、古典主義への回帰ののち、「シュルレアリスム」絵画などを制作した。私的な生活がその作風に影響を与えたことでも知られる。
✎著/ 種をまく https://www.tane-wo-maku.com
参考/Picasso's Science and Charity: Paternalism Versus Humanism in Medical Practice https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5063546/
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