じっと目を凝らしてみると、暗闇の中で、美しい女性の横顔がロウソクの光に照らされている。彼女は頬杖を突き、何かを想うかのように、視線をぼんやりと前へ向けている。そして左手は、テーブルにある頭骸骨にそっと触れている。
『悔い改めるマグダラのマリア』は、17世紀のフランスの画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593-1652)の代表的な宗教画の一枚で、現在、ワシントンにあるナショナル・ギャラリーに所蔵されている。描かれている人物は、聖女マグダラのマリア。ラ・トゥールによるマグダラのマリアを主題にした有名な作品は何枚か残されているが、これもその一枚だ。娼婦だったともいわれるマグダラのマリアはイエス・キリストによって悔悛し、その後イエスに最も近い使徒になったと伝えられている。
下の絵は同じくラ・トゥールが描いた別のマグダラのマリアの作品。
この冒頭に挙げた『悔い改めるマグダラのマリア』の魅力は何といっても、光と闇の美しいコントラストと優れた写実性にある。
暗闇でロウソクの火が灯されている。その明かりで僅かに照らし出されているのは、質素な身なりの若い女性とつつましい室内。
描かれた情景は写実的で、まるでこちらがその場に立ち合っているのかのようだ。ロウソクの光に照らされた女性の表情、白いブラウスのドレープや折り皺、テーブルの上にある木製の額縁の鏡、その鏡に映る頭骸骨に至るまで、丁寧に描写されている。
この若い女性を描いた絵が宗教画であることは、その題名からだけではなく、傍らに置かれた頭蓋骨や鏡といった宗教的なモチーフが暗示している。現世の儚さを表す鏡や死を意味する頭蓋骨には、キリスト教の道徳的メッセージ「メメント・モリ(死を想え)」が込められ、死後を想えば、現世の贅沢や楽しみなどは全て虚しい事を伝える。
このような静謐を湛える、美しい宗教的な情景を描いたラ・トゥールだが、18世紀以降、美術史の中で忘れられ、その作品は他の画家たちの絵の中に紛れ込んでしまっていた。20世紀初頭に“発見”されたが、ラ・トゥールの真作といわれるものは少なく、僅か40数点ともいわれる。そのうちの貴重な2点が、東京富士美術館と東京の国立西洋美術館にそれぞれ所蔵されている。
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの大規模な展覧会が日本で開かれることは稀だが、日本の美術館に訪れてラ・トゥールの世界に触れてみるのもいいかもしれない。
今回取り上げた『悔い改めるマグダラのマリア』は、美しいマグダラのマリアの姿もさることながら、夜の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールが描き出す優れた明暗のコントラストやそのリアリズムを味わうことが出来る見事な逸品といえる。
<作品のある国内の美術館>
『煙草を吸う男』
東京富士美術館
192-0016 東京都八王子市谷野町492-1
https://www.fujibi.or.jp/
『聖トマス』
国立西洋美術館
110-0007 東京都台東区上野公園7番7号
https://www.nmwa.go.jp/jp/index.html
✎著/ 種をまく https://www.tane-wo-maku.com