名画の魅力に迫る

岸田劉生と「怖い」麗子像 /『麗子微笑』

画家の岸田劉生が、当時七歳の娘の麗子を描いた『麗子微笑』は、学校の美術の教科書にも載っている大変有名な絵だ。東京の上野にある東京国立博物館にある。画面の中の麗子の“顔力”は強く、一度見たら、なかなか忘れる事が出来ない。

 東京国立博物館に所蔵されている岸田劉生の麗子像の一枚の『麗子微笑』
岸田劉生『麗子微笑』1921 東京国立博物館
”顔力”が強い...

子どもが本来持つ「あどけなさ」や「可愛さ」は全く見られず、誤解を恐れずに言えば、怪談に出てくる少女を見ているような「怖さ」さえ感じる。この「怖い」麗子像は、色々なバージョンで何枚も描かれ、グーグルで検索すると、たくさんの麗子像が出てくる。多少可愛さが残った絵があるものの、多くは暗い色で描かれ、顔が誇張されていたり、歪んでいたりしていて、一堂に並べてみると「怖さ」は抜群、と言える。

*左上段より右へ『麗子坐像』ポーラ美術館、『麗子像』天一美術館、『童女舞姿』大原美術館、左下段より右へ『二人麗子像』泉屋博古館、『野童女』神奈川県立近代美術館、『寒山風麗子像』笠間日動美術館

私たちがこの『麗子微笑』に、「怖さ」や不気味さを感じてしまうのは何故なのだろうか。理由は、とにもかくにもその独特な描き方にあるだろう。

 東京国立博物館に所蔵されている岸田劉生の麗子像の一枚の『麗子微笑』の一部。
岸田劉生『麗子微笑』の一部。

子供らしさからはかけ離れた微笑を浮かべる麗子の表情は勿論のこと、麗子を緻密に正確に描いた部分と、簡略したり、あるいはデフォルメ(誇張や変形)した部分が一枚の肖像画の中で混在している。現実的な描き方と非現実的な描き方が混在しているとも言える。そして、麗子の黒髪と同じく黒く塗られた背景が、その独特の「怖さ」や不気味さを強調する。

まず麗子の顔を見よう。口角を上げ、微笑を浮かべているように見えるかもしれないが、まぶたを下げ、目を細めて、仏様のように泰然自若として悠然と視線を前に投げかる姿に、子どもが持つあどけなさを認めることは難しい。

 東京国立博物館に所蔵されている岸田劉生の麗子像の一枚の『麗子微笑』の一部。
岸田劉生『麗子微笑』の一部。

そして麗子の着ている物に目を向けると、カラフルな毛糸で編んだ羽織物はとても緻密に立体的に描かれているが、下の着物や帯は粗く平面的に描かれている。毛糸の羽織物の緻密さに比べると、麗子の顔も平面的に見える。

 東京国立博物館に所蔵されている岸田劉生の麗子像の一枚の『麗子微笑』の一部。
岸田劉生『麗子微笑』の一部。
毛糸で編んだ羽織物は緻密に立体的に描かれている。
 東京国立博物館に所蔵されている岸田劉生の麗子像の一枚の『麗子微笑』の一部。
岸田劉生『麗子微笑』の一部。
中に着ている着物は平面的に、粗く描かれている。

さらに麗子の身体に目を向けると、麗子の上半身全体に対して、緑色の林檎を手元で持つ手や腕がとても細い。ところがそのアンバランスな細い腕や手は、それなりにリアルに描かれている。

 東京国立博物館に所蔵されている岸田劉生の麗子像の一枚の『麗子微笑』の一部。
岸田劉生『麗子微笑』の一部
身体に対して腕や手が異様に細い。
 東京国立博物館に所蔵されている岸田劉生の麗子像の一枚の『麗子微笑』の一部。
岸田劉生『麗子微笑』の一部。
手先の描写はそれなりにリアルに描かれている。

勿論、劉生は下手なのでも、描き掛けであったのでもなく、意図的に麗子をこのように描いている。この作品には劉生が関心を持ったクラッシックな西洋絵画の影響や、東洋の神秘的な美への傾倒が見られる。

例えば麗子の「微笑」には、劉生が「不思議な笑み」と呼び、心を惹かれたダ・ビンチの『モナ・リザ」』の「微笑」の影響を認めることが出来るかもしれない。

岸田劉生が惹かれたレオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』
レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』1503-1519 ルーブル美術館
レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』と岸田劉生の『麗子微笑』の一部。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』と岸田劉生『麗子微笑』の「微笑」

また緻密な描写には、劉生が関心を持った15~16世紀のデューラーやファン・アイクなどの北方ルネサンス絵画の写実性の影響も見て取れる。

岸田劉生が影響を受けた北方ルネサンスの代表的画家ヤン・ファン・エイクの『アルノルフィーニ夫妻像』
岸田劉生が影響を受けた北方ルネサンスの代表的な画家ヤン・ファン・エイクによる有名な『アルノルフィーニ夫妻像』。細部に至るまで緻密に描かれている。
岸田劉生が影響を受けた北方ルネサンスの代表的画家ヤン・ファン・エイクの『アルノルフィーニ夫妻像』
ヤン・ファン・エイク『アルノルフィーニ夫妻像』の一部。細密画のような細かな描写が目を引く。

そして現実と非現実が混在した描写には、当時、東洋の神秘的な美に興味を持ち、一見、非写実的で平面的、非美的、稚拙な絵の中に神的、美的な境地が見出せるとした劉生が、麗子を題材にして、現生を描くのではなく、その先の「神秘的なもの」を描こうと試みた一枚ともいえるかもしれない。

岸田劉生が傾倒した中国の宋、元時代の絵画。
中国の宋、元時代の絵画に傾倒していた劉生。日本画に大きな影響を与えた顔輝による『寒山拾得図』。東京国立博物館
顔輝『寒山拾得図』の寒山像と岸田劉生の麗子を寒山風に描いた『寒山風麗子』。
顔輝『寒山拾得図』の寒山像と岸田劉生の麗子を寒山風に描いた『寒山麗子』。

こうして完成した『麗子微笑』は、誰もが一度見たら忘れられない強烈な個性を放つ肖像画となった。芸術家が、所謂「唯一無二」のオリジナリティを追求するものなら、「麗子像」は間違いなく、それに成功しているだろう。


ダ・ビンチの『モナ・リザ』の「微笑」について劉生が残した文章には、劉生の美意識が垣間見れる。

  余の最も感心している婦人を描いた画の中、まず、人に多く知られているのはあのモナリザ・ヂヨコンドの肖像画である。…三四百年前のイタリーのレオナルド・ダヴインチという人によって描かれたものである。この画は実に深い。恐らくこの位見ていて深い心地にさそわれる画は世界にそう沢山はあるまい。…この画の顔は、不思議な笑みをもらしている。人はこれを謎の笑いと云う。幽玄な、深い気持ちのするその顔の中、うすい微妙極みない線を持つその唇は、かすかに彎曲して、微妙な微笑みをもらしている…造詣美術の中に、「心」を描く、造形的要素というものがあるという事が分かる。…彼女は黙ってほほ笑んでいる。そのほほ笑みは…「芸術」といふものの持つほほ笑みである。 ー 岸田劉生


✎著/ 種をまく https://www.tane-wo-maku.com

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