一頭の馬が今まさに、川から岸辺へと力強く一気に駆け上がろうとしている。その荒々しい馬の動きとは対照的に、絵はピンク色を中心とした穏やかな優しい色で彩られている。
この『水より上る馬』は、馬を愛し“馬の絵描き”とも言われた洋画家、坂本繁二郎(1882-1969)が1953年に描いたものだ。画家が70歳を過ぎて、戦前(1937年)に描いた同名の作品をもとに制作した円熟期の代表作で、馬主とともに馬が馬市へ向かう途中、川を渡る所を描いた。
1882年、福岡県久留米市に生まれた洋画家の坂本繁二郎は、20歳の時に絵を学ぶために東京へ上京。その後フランスへ留学、帰国後は故郷の福岡県久留米市へ戻り、八女(やめ)にアトリエを構え、都会の喧騒から離れた静かな環境の中で絵を描き始めた。同時期の多くの洋画家と同じように、その描き方にはフランス印象派の影響が色濃く見られる。この『水より上る馬』でも、印象派のように自然の中にある風景を明るい色彩や短い筆致を活かして描いた。
その一方でこの絵は、実際の風景から離れて自由に馬の姿を描いたという点で、自然を描こうとした印象派とは大きく異なる。具体的に写生をもとに描いた初期の『水より上る馬』と見比べても、馬の姿は理想化され、躍動感溢れる姿がバランスよく描かれている。
また色彩を見比べても、茶系からピンクを基調とした明るいものへと変わり、色彩を自在に操り配色したことが分かる。
さらにこの絵が魅力的な故は、色彩が重ねられることで輪郭線が消えていき、馬とその周りの景色が混じり合う幻想的な風景画を生み出したことにあるのかもしれない。それはかつての印象派的な“自然”な絵というよりは、むしろ夢の中のワンシーンのような情景だ。画家は晩年に掛けてこのような幻想的な風景画を多く残した。
画家は生涯に渡り、放牧場の馬、耕作する馬、林にいる馬、川の中にいる馬、親子で顔を並べる馬などの様々な馬の姿を描いた。
馬を描き始めた頃、「あそこにはよい目つきの馬がいる」と聞くと画家は飛んで行ってデッサンをしたという。身近な家族を除いて滅多に人物を描かず、裸体については醜いとも言っていたが、馬に対しては常にその美しい姿を称賛し、優しい眼差しを向け続けた。
“こんな立派なよい家畜が人間の生活に親しく営まれているのは幸福である。人は知らず知らずのうちに深く馬を愛着して、そしてそれを知らずにいる…”
“頭を揃えて青草の上を進むそのすばらしい体形、隆々とした肉塊から肉塊の動きの流れ…ありったけの立派さがはち切れるように輝き渡っている…”
― 坂本繁二郎
✎著/ 種をまく https://www.tane-wo-maku.com
坂本 繁二郎
Hanjiro Sakamoto(1882-1969)
1882年、福岡県久留米市生まれの洋画家。馬の絵を多く描いた事で知られる。風景画の他、能面などの静物画も描いた。数は少ないが人物画もある。同郷の画家に同年の生まれの青木繁がいて、良きライバルだった。1912年の《うすれ日》が夏目漱石に高く評価される。1921年より渡仏。帰国後は故郷の久留米市に戻り、その後に近郊の八女にアトリエを構える。代表作に《水より上る馬》《放牧三馬》《帽子を持てる女》などがある。