彫刻家の作った美しい女性像が血の通った人間に変身したら…。このような夢物語が古代ローマの有名な詩人オウィディウスの『変身物語』の中に出てくる。
物語の中で彫刻家のキプルス王ピュグマリオンは、自分自身の理想の女性像としてガラテアを彫り出した。するとある日、女神アフロディアがその彫刻に命を与えて女性へ変身させる。喜んだピュグマリオンはガラテアを妻として迎えた。
近代フランスのアカデミズム絵画の巨匠ジャン=レオン・ジェローム(1824-1904)は、このオウィディウスの物語をもとに有名な『ピュグマリオンとガラテア』を描いた。
まず絵の中で真っ先に視線が向かうのは、こちらに背中を向けて、腰をアクロバティックにひねりながら、彫刻家ピュグマリオンの肩に腕を掛けてキスをするガラテアの後ろ姿。大理石で出来たガラテアはピュグマリオンとキスをした瞬間に柔らかい肉体へと変身する。
ジェロームはこの白く冷たい大理石だったガラテアが人間へ変身する瞬間を、まるで実物がそこにいるかのようにリアルに描いた。
そのリアルさはイタリアバロックの巨匠ベルニー二の彫刻『プロセルピナの略奪』にも匹敵するかもしれない。
まるで本物のプロセルビナ(ギリシャ、ローマ神話の女神)の肉体を再現したかのように肉感的でリアリティ溢れるベルニーニの彫刻。
彫刻家ベルニーニは女神プロセルピアの肉体を大理石で再現したのに対し、画家ジェロームは絵画で彫刻ガラテアが血の通った柔らかい肉体へ変身する様子をリアルに再現した。
この『ピュグマリオンとガラテア』で見ることが出来るギリシャ・ローマ彫刻を模したような裸体の描き方やキャンバスの滑らかな仕上げ、古典を題材にしたロマンテックな描写は、当時フランスのアカデミズム絵画の代表格であったジェロームが最も得意とするところだった。
中でもこの『ピュグマリオンとガラテア』が人気な理由は、やはりこのリアリティ溢れるガラテアの裸体にあるのだろう。画家はその後ろ姿が最も目立つように画面中央近くに配し、白い肌を引き立たせるためにその周辺を暗めのトーンで描いた。
さらに鑑賞者の視線が彼女から逸れないように他のものは極力描き込まず、彫刻家ピュグマリオンの姿をはじめ、壁に掛った絵、床の盾、壁にある恋のキューピットの絵なども目立たない色調で描いている。
同じジェロームの作品でも『アレオパゴス会議のフリュネ』(1861)の画面は賑やか。そのために絵の主役のフリュネ(左の裸の女性)の姿はあまり目立たない。
ところで最後になるが、このガラテアとキスをしているピュグマリオン、実は彫刻家でもあったジェローム自身を重ね合わせたものだったのかもしれない。当時、ジェロームは自らが理想とする彫刻『タナグラ』などを熱心に制作していた。
参考までに『ピュグマリオンとガラテア』と同時期に制作された彫刻『タナグラ』や『フープダンサー』。『フープダンサー』はタナグラの手の上にも見られる。
『ピュグマリオンとガラテア』と同時期に描かれたジェロームの『画家とモデル』では、女性モデルの傍らで大理石から『タナグラ』を彫り出すジェローム自身が描かれている。絵の中には上記の彫刻フープダンサーも。
さらにその青い壁には、今回取り上げたジェロームの『ピュグマリオンとガラテア』の絵が。
✎著/ 種をまく https://www.tane-wo-maku.com
メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年
会 期
大阪市立美術館 2021年11月13日(土)~2022年1月16日(日)
国立新美術館 2022年2月9日(水)~5月30日(月)
特設website: https://met.exhn.jp/
ジャン=レオン・ジェローム
Jean-Léon Gérôme(1824-1904)
1824年フランスのオート=ソーヌ県ヴズール生まれ。近代フランスのアカデミック絵画の巨匠。ギリシャ・ローマ神話などを題材にした歴史画やエキゾチックな東方画を得意とした。彫刻家としても活躍。代表作は『闘鶏』『ピュグマリオンとガラテア』『アレオパゴス会議のフリュネ』『奴隷市場(1866)』『蛇使いの少年』『カーペット商人』『オムパレー』『タナグラ』や『フープダンサー』など多数。